建設会社の勉強会と富岡製糸場

この週末は仲間の建設関連の経営者の方々と、桃知利男先生をお招きして勉強会をしました。

建設業は、これまであまり外部に対して情報発信してきませんでした。また、災害対策など通り一遍のことはやってきましたが、意識的に地域に貢献して きませんでした。昨今の社会的な環境の変化とあいあまって、現在建設会社が根ざしている地域社会の一般の方から建設会社がどのような仕事をしているかとい うご理解がなかなかいただけない場に自ら追い込んでしまったように私も感じています。桃知先生は、建設会社こそ地域社会を「耕し」、「贈与」を行い、情報 発信すべきであると、非常にわかりやすい形でご説明くださいました。

地域の建築屋の役割とは? (先週号)

...と書いていたら、ご自身で公演内容を公開していらっしゃるのを発見しました。

モラロジー建設部会での講演用PPT。(編集中)

新たな共同体性(贈与)―モラロジー建設部会での講演用PPTの解説(その2)。

詳しい解説でとてもわかりやすいのですが、やはり桃知先生のパフォーマンスというか、実況というか、その場でお聞きしたときの「そうなんだ!」とい う感動にはとどきません。今回、かなり聴衆側に年齢のはばがあったのですが、みな最後まで興味深げに聞いていらっしゃいました。桃知先生のお力です。

桃知先生、ありがとうございました。

 

2日目は現在世界遺産に暫定登録された富岡製糸場にみんなで見学に行きました。

富岡製糸場(とみおかせいしじょう)は、群馬県富岡市にある日本初の器械製糸工場。官営模範工場の一つであり、明治5年10月4日(1872年11月4日)に操業を開始した。

@ wikipedia

ボランティアの方の解説によると日本の絹輸出が粗製濫造に陥りかけていたことを明治政府が憂えて、明治3年に企画を起こし5年にはフランス人、ポール・ブリューナを招いて操業を開始したのだそうです。

 

「木骨レンガ造り」 の東置繭所です。基本的な構造に芯持ちの杉材を使い、大張りとで支える木造ラーメン構法に、レンガで張壁をはめ込んでいる構造 です。建築関係者ばかりでいきましたから、微に入り細にいり基礎構造までみんなでチェックしてきましたが、しっかりと建てられ狂いがないことに大変感心し ました。

このレンガは当時の深谷の瓦職人に焼かせたそうです。いまもこの富岡から程近い深谷はレンガの産地として有名なのは、このためだったのですね。 

レンガのまち深谷


 

ヨーロッパ風のアーチのキーストーンに「明治5年」とあります。明治5年とは、1872年ですから実に135年前の建築です。この135年間には数々の地震や災害などがあったはずですが、数々の方の努力により保存されてきたのは本当に日本の宝です。

ちなみに、見学した我々の見立てでは基礎構造は寺社建築と似たものがあるようです。京都といい、この富岡といい、しっかりと先へ残すことを企図された建物は基礎から違いますね。


当時世界最大といわれた製糸場の屋根のトラス構造です。これまた135年前に作られたとは思えない美しさがあります。

世界遺産登録推進のホームページに詳しい説明がありました。

富岡製糸場のあらまし

建築屋として、先人がこれまでなかった技術的な課題に挑戦し見事に果たした成果として、ぜひ世界遺産として保存してほしいと願います。

 

2日間の非常に充実した勉強会に参加できました。段取りをいただいたみなさまに感謝もうしあげます。

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